韓国最高裁が元徴用工と主張する韓国人男性らの訴えを認め、三菱重工業に損害賠償を命じた。
これで、元徴用工らへの賠償を命じる確定判決は2件目となった。
これに対して、菅義偉官房長官は、
「1965年の日韓請求権協定に明らかに反し、日本企業に一層不当な不利益を負わせるもので極めて遺憾だ。断じて受け入れられない」
などと強く反発した。
河野太郎外相は
「1965年の国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すものだ」
と強い不快感を表した。
韓国外務省報道官は日本政府の反発について
「日本政府が継続的に韓国の司法の判決に対し過度に反応していることは非常に遺憾で、自制を求める」
と述べた。
今後日本の60社以上に対しての同様の判決が待ち構えている。
そのたびに抗議しても何の意味もないし、それだけでは弱気を見透かされるだけ。
韓国側から「基金」を設立しようなどという提案があるが、こんなものは「噴飯物」として一蹴しなくてはならない。
慰安婦問題も基金設立から切り崩されたものだ。
強盗した後で、一部は返すからそれで手を打とうと交渉してくるのと同じで、そこで1ミリで譲歩したら彼らの主義主張を認めることになる。
改めて言うまでもないが、韓国はまともな民主国家とは到底言えず、法治国家でもない。
法の上に感情がある情痴(情治)であり、その感情は「反日」でなくてはならない国家だ。
国是が反日で親日的発言をすると罰せられる異常国家。
つまり反日専制国家だ。
さらにいえば、ウソつき、強奪をしても反省のかけらもないばかりか、相手をさらに非難して、さらなる強奪の対象にしようとする国だ。
韓国人が日本の寺から盗んだ仏像を韓国裁判所が返さなくて良いと判決するのが一例だ。
要するに話しあってもムダであって、断交するのが最も得策だ。
国際司法裁判所への提訴は必要不可欠。
交渉、話合いが無理なのだから、日本が行うのは1歩も引かない断固とした措置しかない。
私がなぜ交渉方法まで言及するかといえば、過去に長年貿易を通じて多くの国の担当者と交渉してきたからだ。中韓のように契約を守らない国とも何度もビジネスを行ってきた経験がある。
それにしても日本政府の対応もようやくまともになったという思いが強い。
これがいわゆる自民党「鳩派」政権だったらと思うとゾッとする。
多分抗議らしい抗議もなくただ「遺憾」を繰り返すのみだったろう。
そして「話合い」の名のもとに交渉して、また今までと同じ轍を踏んでいただろう。
思えばわずか2年ほど前までは、日本でも次のような意見がよく聞こえてきた。
「法律と感情は別なのだから、訴えに真摯に耳を傾けるべき」
このような意見が日本の世論をダメにして中韓に収奪され続けてきたのだ。
「被害者」ポジションであれば、なんでも許されるとする暴論だ。
こう思っていた者は自分がいかに幼稚な思考をしていたかを猛省するべきだ。
日本を貶めることに力を貸していたことになる。
もちろん今でも鳩山由紀夫氏などの変人がいるにはいるが、まともに相手にする者は少ない。
ただし、中韓メディアはクローズアップするし、日本のメディアも取り上げる。
みのもんたは、最近の放送で「日本と韓国が戦争やったのは事実だから」などと言って、大ひんしゅくを買った。
そんな基本的史実も知らないで、今まで日本の責任を問う発言を繰り返していたのだから驚くほどの恥知らずだ。
メディアは面白がって、逆の意見をそのまま取り上げようとするが、もっと内容を吟味して報道するべきだ。
ゴーン容疑者の報道でもそうだが、信憑性、信頼性の有無を考えず報道するから、詳しくない人からするとどっちが正しいか分からなくなってしまう。
日本側の報道と中韓側の報道を同じぐらいのウエイトで報道したら、それは「アンバランス」な報道になることを踏まえるべきだ。
警察発表と犯罪者の言い分を同様に伝えるのと同じだ。
明確なのは韓国は敵国であること!
韓国はそもそも戦後一貫して日本を敵国にしているのだから、敵国認定はあまりに遅すぎるぐらいだ。
最も許されないのが「日本を擁護すること」という狂った国だ。
日本は韓国に対して友好国妄想を持ち続けたがために現在の状況を招いたと言える。
最後に提案する。
学校教育の中で福沢諭吉の言葉をしっかりと教えるべきだ。
彼は言うまでもなく現状最も高価な札である1万円札の図案になっているお方だ。
日本の長い歴史の中でも最も偉人であり功労者なのだから、教育にもしっかり反映させるべきだ。
1885年に福澤諭吉は次のように書いていた。
中国と朝鮮の2国を指して、
「教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、
一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、
尚傲然として自省の念なき者の如し」
「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」
(以上、脱亜論)
さらに1897年には次のように書いた。
「朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、
事実上に自ら実を収むるの外なきのみ」
(時事新報)
福澤諭吉は既にこの時代に、朝鮮人が到底理解出来ない存在で、信用できないことに確信を持っていたのだ。
いったい日本人はこの100年以上もの間、何を学んできたのだろう!?
福沢諭吉はあの世で頭を抱えているのではないだろうか!
彼の教訓をその後の日本人がしっかり守っていれば、中韓とはあまり関わることはなく、日本は現在よりはるかに素晴らしい国になっていたのではないだろうか!