山尾志桜里の不倫報道に関して、ほとんどが批判派、一部に擁護派がいる状況です。
ただどの論調を見てもあまりに生ぬるいし、核心への踏み込みが足りないと思うので、私の意見を書きたい。
山尾氏のことを書くが、これは山尾氏を攻撃するために書くのではなく、一人間、特に一政治家を通して社会的な問題として捉えていただきたい。
不倫を批判する文章ではありません。
そもそも私は以前から山尾志桜里という人間は信用できないと思っていた。
思想ではなく人間的に大きな欠陥があると。
だから、ガソリン問題や不倫問題を起こしても「やっぱりな」という思いしかない。
なぜ私がそういう悪い印象を持っていたかというと、「保育園落ちた!日本死ね!」のブログをネタに国会で政府を追及している姿をみたからだ。
メディアではその追及の姿を称して、舌鋒鋭く政府を追及する姿が素晴らしいと賞賛され、「民進党のジャンヌ・ダルク」とまで呼ばれていた。
とんでもない話だ!
理由は3つある。
まず第1に、追求の根拠とした匿名ブログが最悪だ。
匿名だから書いてあることが本当か、それに書いている人間の背景も分からない。
そして「保育園落ちた」ことがどうして「日本死ね」に結びつくのか意味不明。
もし普段から「日本死ね」と思っているならそれは本人の問題でしかない。
もし過激な言葉でウケを狙ったのなら炎上商法と同じだ。
いずれにしろ匿名ブログは情報源として最低だ。
匿名ブログをネタに国権の最高機関での議論が提起されるなどあってはならない。
町内会の会合であってもやるべきではない。
第2に、民進党に保育園が足りないことを追求する資格はない。
旧民主党の政権時代に保育園は増えなかった。
それどころか、公立保育園の補助金廃止、一般財源化を行うなどして、むしろ保育サービス充実に逆行していた。
それが自民党政権になってから保育園は増えており、しかもこれからも積極的に増やしていく方針を表明していた。
自分たちの反省は全くせず、現在ある問題点だけをあげつらい、政権を批判するなど、普通の良識ある人間のやることではない。
第3に、山尾氏の追求の語り口、内容、語気が異常!
山尾氏が追求する言葉の過激さ、強さはヒステリーという言葉がピッタリだった。
安倍政権が何をやったというのか?
怒気に満ちた言葉の数々は不愉快で常軌を逸しているというほかないヒドイものだった。
どんな相手であれ、批判する相手への最低限のレスペクトが必要だし、それが国民からの共感を生むものだ。
どうやら党も山尾氏も言葉がきつければきついほど、政権が追い詰められている図になると勘違いしているようだ。
言葉の内容と言い方はその人の本性が表れる。
その後の別の場では、安部首相に対して「器が小さいんだよ!」とヤジを飛ばしてもいた。
この国会を見て僕が確信したのは、山尾氏は他人を容赦なくつぶそうとする一方自分に甘い、ろくでもない人間だということ。
「自分は人を批判するに足る人間なのか?」と考える人間であれば、そういう話し方をしないものだ。
自分は「器が小さいんだよ!」と他人を批判できる器があるのかを考える人間であれば、そう批判できるものではない。
残念ながら山尾氏は僕が過去に何人も見てきた唯我独尊タイプで、自分の過ちや不正にほおっかむりをする傾向があると。
こうしてガソリンも不倫も大ブーメランとなったのだ。
自分が相手を追求するために、要求していたことが、自分が逆の立場になると、同じ人間がやっているとは思えない最低の対応に終始した。
私は「不倫したから政治家失格」という立場ではない。
ただ山尾氏の場合は、不倫そのものよりもウソをついたこと、そして主張してきた「説明責任」を放棄したこと、さらに反省を知らない人物であることが政治家として致命的だと思う。
舌鋒鋭く相手を批判する者は所詮こんなもの。
私生活や倫理観に問題がある場合が多い。
攻撃が得意のものは、守りが苦手。
山尾氏の場合は守りを全く考えていなかったといって良い。
そして何より、「保育園落ちた!日本死ね!」というひどく汚い言葉を鬼の首を取ったかのように吹聴した、その罰が下ったようにも思える。
流行語大賞で表彰を受けて得意になっていたのは明らかにやり過ぎだった。
その言葉で多くの日本国民やその魂が傷ついたことを想像できなかったことが現在の悲惨な状況を招いたように思えてならない。
身内に賞賛されればされるほど敵をたくさん作ることを知るべきだ。